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    あんときは、ファービーを産まれて初めて買ったんだ。ファービーは、何かすると答えてくれる生き物みたいなぬいぐるみだった。ぼくはファービーと話をしてみたくて、給料をもらいはじめたころ、少し余裕が出たからおもちゃ屋にいってファービーを買って、ファービーと話すのをたのしみに持って帰ってきた。そしたら母さんが、明日友達に会いにいかなきゃならないんだけど、友達の子供にあげるクリスマスプレゼントがないからこれあげていい?っていって、ぼくは嫌がった。そしたら、また買えばいいじゃないっていって、次の日母さんはファービーを持って行ってしまってぼくの手元には何も残らなかった。それは白いファービーだった。
    ぼくはあのファービーはぼくの手元にくるためにつくられたファービーなんだとおもって勝手に友達みたいにおもってたけど一言も喋らないうちによその家の人のクリスマスプレゼントになってしまった。ぼくは子供のとき、枕元の靴下に手紙を入れておいたらサンタさんがそこに書いたものを持ってきてくれるって教えられてた。だから書いて入れておいた。あのときは、母さんに怒られて泣いていて、母さんと仲直りしたかったから、母さんの笑顔って書いて入れた。けど母さんは次の日になってもずっと怒ってて、妹には笑いかけたけど、ぼくには一日中ずっと怒ってて一度も笑いかけたりしなかった。クリスマスプレゼントはもらうことができた。知らないおじさんが母さんの代わりにおもちゃを買ってきてくれていた。そのおじさんは母さんのことが好きで、母さんに気に入ってもらいたくて子供にプレゼントを持ってきてニコニコしていた。でもぼくはその日は真剣に、母さんと笑って口がきければそれでいいとおもってた。でもその願いは聞き入れてはもらえなかった。悪い子供の願い事は、きいてもらえないというよね。それで、ぼくは、これはぼくのイメージにたいしてのプレゼントなんだとおもった。
    大人になってやっと自分にプレゼントを買ってあげられるとおもって、ファービーを買ってきてわくわくしていたけど、だめだった。
    あのときは、さみしい気持ちになった。



    生きてるイチゴに会ったんだ。夢の中で。
    生きてたんだなあとおもって、死んだのは
    間違いだったのかなあとおもって、水を換えようとか、ご飯をこのお皿に、
    久しぶりに会うから缶詰をあげようとか、今度は死なないように気をつけなくちゃ
    とおもってる途中に目が覚めた。



    母さんは、生きてる間に、何回かぼくにあやまった。
    そんな時には決まって泣いていたけど、ぼくと母さんは互いに、
    互いに対する罪悪感の塊だ。母さんは、かわいがられないで
    いじめられて育ったといってた。ぼくはもう、今は、そんな風にはおもっていない。
    けどただ、なにか、問題があったことはよくわかる。

    人間はこどもを産んでも、大人になるわけじゃなかった。
    苦労を重ねるほど良い人格を得られるわけでもなかった。
    人間はこどもを産んでも、大人になるわけじゃない
    こどもを産んだあとも、母さんはずっと愛されたい子供だった。
    その夢はついに叶わなかった。母さんの親は二人とも、それが
    わからないまま、箱の中に入って白い服着て寝た。
    そうなるともう人間は誰も愛さないから涙も流さないようになる。
    痛くも痒くもない。

    ぼくは苦労をかけたね、理想の通りに育ってあげることが
    できなかったねと母さんにいうしかないんじゃないか、
    母さんは、昔のぼくには悪いところが1つもなかったという。
    それなのに、母さんが変なふうに扱ったから、今は歪んでしまって、
    もう元には戻らないんだという。母さんはいつも泣いてる。ぼくは
    正直、売り物にならないといって割られるのを待つだけの、失敗作の、
    焼き物みたいな気分でいつも、それをきいている。



    イチゴの毛がくつしたに2本付いてた。
    1本はいつのまにかどこかに落ちた。
    もう1本はなくさないようにかばんのポケットにしまった。



    イチゴの目は
    おいしいほうのぎんなんの色だった。
    でも、真っ昼間に見ると、下品な金色みたいにもなった。
    イチゴの顔は、愛想のいいほうじゃなかったから
    昼前のイチゴの顔は、意地悪そうに見えた。
    夜になって瞳孔が開いてやっとだった。
    たべものを欲しがっているときの顔が一番美人に見えた。
    びっくりしているときは可哀想になった。

    イチゴはひとりあそびが得意な猫だった。だから
    いつもあそび道具を見つけたらむきになってあそんだ。
    しらけたような顔していて、子供らしいところもあった。
    懐中電灯の光も好きだったけど、ソファにかかった布にかくれて、何かを狙うのが好きだった。
    あと、ビニール袋にはいるのが好きだった。
    たまにビニール袋の取っ手に頭をくぐらせてマントみたいにひるがえして
    いばったみたいな顔してた。

    いつもおすまししている猫だった。
    車に轢かれるときもおすまししていたんだろうかってかんがえて泣きそうになった。
    びっくりした顔したんだろうか。気がついたら轢かれてたんだろうか。
    わからない。
    昨日の夕方からずっと、カエルが窓の外でケロケロ鳴いてた。
    ケロケロ鳴くカエルの声は初めてきいた。知ってたのはゲェコゲェコというのか、ボアァ…ボアァと低くてでかい声で鳴くやつ。
    そのケロケロ鳴くカエルがあまりにも夜中までずっと近くで鳴いていて、呼ばれている気がして
    もしかしてイチゴなんじゃないかとおもってきて、イチゴはガラガラ声だったから、気になって外を見に行った。
    けどカエルは見えなかったし、イチゴの幽霊もいなかった。



    いつも滅びたあとの世界に向かって話しかける。
    滅びる前の世界に、ぼくの話をきく人はほとんどいない。
    きく人がいるとしたら、その人はそうとう、まいっている。
    そこに人がいるとおもうと困るからいないほうがいい。
    おもったことを口にしてはいけないというルールが、人と人との間にはある。
    この世界の秘密を話したかったら、滅びた世界に向かって話をしなくちゃならない。
    話をきいている人は、半分滅びた世界に行きかけてる。
    半分滅びかけてる。
    ほとんど滅びかけている。
    ちょっと、調子に乗りすぎた。

    3月11日に地震が起きて、詩人が詩を書いた。
    神様に恨み言をいうのが正しいのかについての話をしようとしてた。
    ひどい目にそれほど会わずにすんだ人が大げさになって神様に恨みごとを言うと、本が売れた。
    死にそうな人は神様にすがって、神様に文句を言うのを忘れた。
    神様は、何もしない。死にかけている人をたすけるのは、神様の仕事じゃない。
    本を売るのも、神様の仕事じゃなかった。
    死にそうな人が最後には文句をいわなくなることを神様は知ってた。

    神様は、見てるだけだった。人間も、見てるだけだった。
    人間は、自分ばっか、きれいでかわいそうになっていたいだけだった。



    ゴーカートに乗って走った。
    ゴーカートは、ちっちゃな車で、草刈り機を動かすときみたいにうしろのひもをおもいっきりひっぱると
    エンジンが動いて、アクセルをふむと走り出す。
    山奥の、大きな公園で、ゴーカートに乗った。
    もう一人の、大事なともだちと一緒に。
    笑いが出て、ずっと笑った。
    子供の頃とは違う場所で乗ったけど
    景色が同じように見えた。1つちがうのは子供の頃は
    母さんに、上手に乗れてるところを見せようとしてたことだけど
    もう運転するだけでいい。
    落ち葉がたくさん舞ってた。あの頃は大事な猫も生きてた。
    苦しみ苦しみ、Autumn leavesというジャズの曲を
    習いたてのバイオリンで弾いてた頃、なにもかも自分のせいだったけど
    走って走って、おもったより遅くて風も来なかった。
    振動で病気が出てかゆくなったけど
    おもいっきり走った。きっと自分で走ったほうが早いけど
    大人になってしまったのは体だけだとおもった。



    もし結婚する日がきたら、
    その日は、誰かの葬式の日みたいにいっぱい
    ろうそくに火をつけて そこら中にならべて
    ぼくを出迎えてほしい。

    葬式の日がきたら
    またいっぱいろうそくに火をつけて、そこら中をろうそくでいっぱいにして
    ぼくに別れを告げてほしい。



    悲しいことがあった日は、雨のほうがいい。
    誰も外にいないから、外に出れば泣くことができる。

    すごく悲しいことがあった日、すごく晴れてた。
    一日中、笑ってなきゃならなかった。
    笑ってたかどうか、鏡を見てないから知らないけど
    たぶん、何も考えないように
    ちょっと動くと首が落ちそうになるから
    じっとしてなきゃいけない、という感じで、
    頭の中を刺激しないように
    一日中。

    だれかが頭が落ちないように見張ってた。
    家中にだれかがいた。
    頭の中は、ニトロみたいに反応しやすかった。
    ちょっとの衝撃で、なだれが起こるのがわかった。
    出してしまえ、とだれかは言った。
    でもそれはみんな遠くにいる人たちだった。
    そばにはガラスに張り付いて、見張ってる人がいた。
    泣かないように見張ってた。
    みんな心配するから静かに、おとなしくね
    といって、ぼくの中に住んでいる自己反省の強い鳥を脅すんだ。

    それから、ぼくのかなしみは、小さいといわれて、
    小さいといわれても大きいんだ、と口の中で言い返して
    我慢したまま夜が来て朝が来て夜が来て朝が来て
    一日以外はみんな晴れだった。
    一日雨が降った日にはぼくはもう麻痺してた。
    ぼくはすぐに麻痺するし、麻痺しはじまると
    自分の気持ちがわからない
    目の奥がずっとぐぢぐぢぐぢぐぢしているだけで
    閉じ込めたものが、出せなくなった。
    いつかの雨の日に、取り出して外に出してやらないと
    火薬に火が点いてる気がする。

    でももう、少ししか感じない。
    わかるかい。とても痛いのに、なんかのせいで膜が張って
    少ししか感じない。
    たった一週間で、湖の表面に分厚い氷が張って
    中でおぼれた自分が出られない。
    溶かそうとして、辛いことを思い出そうとするけど
    どろどろした水色のかなしみを垂れ流すときは
    それを鍵がかかった自分の部屋の中で誰にも見えないようにやらなきゃいけない。
    でも、場所がないんだ。
    周りの人たちはいつでも、ぼくが元気に笑っていることを願ってる。
    泣いたりしないように、じっと見てる。



    タイムカプセルに未来の自分への贈り物を入れるなら
    イチゴさんの死体を入れる。
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