上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。



    あんときは、ファービーを産まれて初めて買ったんだ。ファービーは、何かすると答えてくれる生き物みたいなぬいぐるみだった。ぼくはファービーと話をしてみたくて、給料をもらいはじめたころ、少し余裕が出たからおもちゃ屋にいってファービーを買って、ファービーと話すのをたのしみに持って帰ってきた。そしたら母さんが、明日友達に会いにいかなきゃならないんだけど、友達の子供にあげるクリスマスプレゼントがないからこれあげていい?っていって、ぼくは嫌がった。そしたら、また買えばいいじゃないっていって、次の日母さんはファービーを持って行ってしまってぼくの手元には何も残らなかった。それは白いファービーだった。
    ぼくはあのファービーはぼくの手元にくるためにつくられたファービーなんだとおもって勝手に友達みたいにおもってたけど一言も喋らないうちによその家の人のクリスマスプレゼントになってしまった。ぼくは子供のとき、枕元の靴下に手紙を入れておいたらサンタさんがそこに書いたものを持ってきてくれるって教えられてた。だから書いて入れておいた。あのときは、母さんに怒られて泣いていて、母さんと仲直りしたかったから、母さんの笑顔って書いて入れた。けど母さんは次の日になってもずっと怒ってて、妹には笑いかけたけど、ぼくには一日中ずっと怒ってて一度も笑いかけたりしなかった。クリスマスプレゼントはもらうことができた。知らないおじさんが母さんの代わりにおもちゃを買ってきてくれていた。そのおじさんは母さんのことが好きで、母さんに気に入ってもらいたくて子供にプレゼントを持ってきてニコニコしていた。でもぼくはその日は真剣に、母さんと笑って口がきければそれでいいとおもってた。でもその願いは聞き入れてはもらえなかった。悪い子供の願い事は、きいてもらえないというよね。それで、ぼくは、これはぼくのイメージにたいしてのプレゼントなんだとおもった。
    大人になってやっと自分にプレゼントを買ってあげられるとおもって、ファービーを買ってきてわくわくしていたけど、だめだった。
    あのときは、さみしい気持ちになった。
    スポンサーサイト



    母さんは、生きてる間に、何回かぼくにあやまった。
    そんな時には決まって泣いていたけど、ぼくと母さんは互いに、
    互いに対する罪悪感の塊だ。母さんは、かわいがられないで
    いじめられて育ったといってた。ぼくはもう、今は、そんな風にはおもっていない。
    けどただ、なにか、問題があったことはよくわかる。

    人間はこどもを産んでも、大人になるわけじゃなかった。
    苦労を重ねるほど良い人格を得られるわけでもなかった。
    人間はこどもを産んでも、大人になるわけじゃない
    こどもを産んだあとも、母さんはずっと愛されたい子供だった。
    その夢はついに叶わなかった。母さんの親は二人とも、それが
    わからないまま、箱の中に入って白い服着て寝た。
    そうなるともう人間は誰も愛さないから涙も流さないようになる。
    痛くも痒くもない。

    ぼくは苦労をかけたね、理想の通りに育ってあげることが
    できなかったねと母さんにいうしかないんじゃないか、
    母さんは、昔のぼくには悪いところが1つもなかったという。
    それなのに、母さんが変なふうに扱ったから、今は歪んでしまって、
    もう元には戻らないんだという。母さんはいつも泣いてる。ぼくは
    正直、売り物にならないといって割られるのを待つだけの、失敗作の、
    焼き物みたいな気分でいつも、それをきいている。



    あの日もこんな音がしてる日だった。
    外に出て、雨に打たれて歌ってた。
    どっちかというと傘をさすより、雨をかぶっているのが好きだった。
    いろんな人が通り過ぎたけど、何も気にしていなかった。
    完全に子供だったから、芸術家のこころを持ってた。その頃は持ってた。
    ずっと踊りながら歌った。傘は
    雨をきれいにみせるための道具だった。
    傘に当たってるときの雨の音はいい音だった。
    勝手につくった歌をうたいながらそこら辺を歩いた。
    いったりきたりしてうろついた。
    家をなくすのがこわいから、家から離れすぎないように気をつけた。
    ここの気持ちは大人になるたびに大きくなった。
    歌っているときには忘れてた。
    叱られて外に出たのを忘れてた。
    もう帰って来るなと母さんが言ったのも忘れてた。
    母さんが髪を引っ張って痛いから泣いたのも忘れてた。
    何もかも忘れてたけど玄関に来たら思い出した。
    なんて言えば家に入れるのかわからなかった。
    ここにいる間に見つかったら、なんて言えば許してもらえるかと考えた。
    けど全然わからなかった。
    叱られた理由もわからなかった。



    帰り道に自転車に乗って、塔を見てた。
    真っ黒ですごく大きいけど、他の人には見えない塔だった。
    町がつくった箱ものの隣に建ってた。
    その中に入る時間はなかった。いつも仕事に追われていたから。
    まちがえた。帰り道には見えてたけど、行くときにも見えてた。
    帰り道はいつも半分朝だった。中に入りたかった。そのことを詩人に話したら
    空想力があるって言われた、けどちがった。
    ぼくはそれを話すのに、ドイツ語をおぼえたがってた。
    それに、塔に影響されて、黒い表紙の大きな本をつくったけど失敗した。
    空想してたんじゃない。腹の中にそれがあった。
    いろんなやつが住んでた。それはみんな自分の分身だった。
    中に入りたかった。仕事にいくのがこわかった。
    でも全部捨てて、仕事に行かなければならなかった。
    お前は恥ずかしい人間ていうから、
    みんないじわるだった。毎日、泣きながら帰っても、
    友達にも、会え…いなくて、はずかしい人間って
    腹の中にこんなものがいっぱいあるからそういうのか。
    ちっとも悪いなんておもわなかった。塔の中にいくから、
    ほっといてほしかった。ぼくのどこが、恥ずかしい?

    「わたしたちの言っていることは、あなたにとっていい薬になるのよ。」
    「苦くない薬ばかり飲もうとしないの!」と彼女達は言った。
    オブラートに包んでなくても、効く薬ならなんでも、飲むつもりだった。
    その中に効く薬なんか一つもなかった。毎回、腹が痛くなるばかりだった。
    毒なんじゃないのか?腹がいたくなって便所へ行くたびに腸の粘膜がごっそり抜けた。
    彼女も彼も、そんな病気は信じなかった。

    すごく痛かった。はやく自転車に乗るために、這って玄関に行った。
    薬は全然効いてなかった。何もかもが悪化した。
    夜、天井をじっと見て、一晩中起きていた。天井が回ったり、声が聞こえたりした。
    急に吠えて、泣き出したりした。睡眠薬を飲んで、無理矢理眠るようになった。
    塔が消えていくのを感じた。見なくてもわかった。
    腹の中にあったいろんなやつが消えていって、何も言わなくなった。
    これはほんとうに、いいことなの?ただの無害な、いいやつらだったのに。
    ある日あの人たちはぼくのぐったりした様子を見て、ジャンキーと呼んだ。
    その頃のぼくは毎日顔がしびれてうまく喋れなかった。
    毎日睡眠薬を飲まないとどうしても、眠れなかった。
    彼女が二年前、ジャンキーになって消えた女の子の話をしてた。
    おもしろそうに笑ってた。けど怒ってた。
    正しい道に導いてあげようとしたけど、逃げたと言ってた。
    自分が二人目になるのがわかった。
    ぼくにはもう塔が見えなかった。



    きっとあの1つ1つで狂っていったのだとおもう。
    でも脳は、1つ1つの積み重ねが思い出せないでいる。
    妹は「あのとき、ひどいことを言った」と言ったけど、おもいだせなかった。
    「ひどい泣き方だった」
    「そんなに泣いても生き返らないって言った」
    そんな種類の言葉はいっぱいもらいすぎて、誰にもらったのかおもいだせない
    でもいつもおもってた
    「また誰かを怒らせたみたいだ」
    ぼくは自分がどうせわざとみたいに力一杯泣いてたんだろうとおもう。
    妹だって他の人間だってそれを見てイライラした。
    そのときは、白いコンクリートの上にいた。
    石が混じってざらざらして割れやすいやつ。

    そこにいたほとんどの人がわざとらしいとおもったにちがいない。
    おもわなかったとしたら父さんくらいだ。
    空を分厚い雲が覆って、薄暗い日だった。脳内記憶では。
    もし晴れていたとしても、頭の中では曇りだった。
    無視されているぼくのために来た犬だった。誕生日に
    この日は泣いてもいい日だった。3月18日
    受験に合格した日だった。
    おもいだせないけど、たぶん、泣いてるときに他の鬱憤も混ぜた。
    泣いても怒られない日だったから、他の日に我慢した分も混ぜた。



    母さんに日記を読まれないように、出来の悪い英語で日記を書いた。
    めんどくさいから途中からは、ただのローマ字だった。
    母さんには英語で書いてるようにしか、見えないみたいだった。

    日記を読まれたくないのには理由があった。
    ぼくは自分を四つに分けてた。
    一人は感情がなくて一人は悪魔のように凶暴で一人は天使のように弱虫だった。
    そしてもう一人は、自分を精神病患者だと信じてた。

    理想の自分三人と、ほんとの自分が一人いた。
    ぼくは四人で一日ずつ、交代して日記を書いた。
    毎日自分を慰めた。自分を慰める必要に事欠かなかった。その日記を捨ててしまったけど、自分を怒ったり嫌いになったりもした。自分で自分と喧嘩して、あやまって仲直りもした。
    誰もいないときには、一人で会話した。

    早く母さんに気付かれて、病院につれていかれて薬が飲みたかった。
    母さんは精神病を信じなかった。
    精神病患者をきちがいと呼んだ時代の人だった。
    自分のこどもをきちがいにしてしまったとはおもいたくなかった。
    交換日記は長くは続かなかった。
    ぼくはただビリー・ミリガンになりたくてそれをやっただけだった。
    気付かれて病院に行きたかった。自分が何人にも分裂してくれたらどんなにか便利だろう。
    もっと病気になればいいのに、ちっとも病気にならなかった。
    意識がはっきりしていてうんざりした。倒れたいのに倒れなかった。
    ぼくは分厚い日記帳に、残りの三人の名前ばかりを毎日書いた。
    彼らばかりに日記を書かせた。どれにもなれなかった。
    ぼくは自分が誰なのかわからなかった。いつも
    他の誰かになりたかった。
    このまま自分でいることにだけは我慢がならなかった。
    他の誰かになればうまくやっていける気がした。
    自分のままでやっていくには、世の中はあまりにも理不尽に見えた。



    生まれたときのことをはなしたいけど、うまくはなせない。
    生ま…たしかに、だれもきいてない。きいてるのは、木とか
    草とか土とか、水蒸気とか、窒素とか、酸素とかだけ、だけど
    生まれたとき、息をしてなかったからって、なんだ。

    どっかに、ほんとに話したいことが隠れてるはずだとおもう。
    いったい…ぼくの脳みそは、ほんとにのろまだ。
    どんだけのろまだと嫌になる。これじゃ腐りかけの肉塊だ。
    生まれたときぼくが息をしてなかったって話をしてたときの母さんは、
    なにを言いたかったかのかを考えると、苦労話だった。
    父さんに見放されて、一人で病院に産みに行った子供が酷い難産で、
    散々、長時間苦しんだあげくに、出てきたら息をしてなかった。
    ”あたしがどんだけ、あんたを産むのに、迷ったり、決心したり、
    したとおもってる?なんで息をしないの?”
    って、そうおもったみたいだ。
    おれは母さんにそういうおもいをさせて生まれてきたんだ。
    別に、わざと胎盤をのどに詰まらせようとしたわけじゃないけど。
    ただ勝手にそうなって、出てきたら息ができなくなってた。
    そうだな、特別だ。特殊だ、おまえは。だからなんだ。そういう自慢がしたいのかって自分が自分に言うけどそれともちがう
    せっかく息を吹き返したけど、母さんの望む形には育たなかった。そういう自分に失望してるとか…なかなか近いけど、
    そんなにきれいな話でもない。

    いろんな母親が、子供を産んだときの話をした。
    彼女たちはまるで我が子が生まれたことを、人生最大の喜びのようにおもいだしながら話してた。
    母さんは…まるでそうじゃなかった。
    全然、ハッピーなできごとなんかじゃなかった、というように、苦しそうに、思い出話をした。
    きっと他に、大事な、重要なことがあったんだろう。そんな気がする。

    息を吹き返したから、生きなくちゃならないって感じで生きた。
    あのとき息が止まったままだったら、母さんを安心させてあげられただろう。
    こんな大変なものを、
    背負わなくて済んだ。そんな気が、ずっとする。
    生まれて来るべきじゃなかった、とかそういう、自分がでかい存在になる話じゃない。
    おれは喜びと一緒には生まれてこなかったという話がしたかった。
    苦しみと、嫌な気持ちと一緒に生まれてきたという話。
    トイレのうんこみたいに、爽快感を与えるわけでもなく。
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。