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    更新を終わります。
    見に来てくださったことがある方々、ありがとうございました。

    長く書いたつもりだったけど、気に入らないものばかりでほとんど残せなかった。
    ほんとは何千個も記事かいたはずだけど全部消してしまったから残ってない。
    ノートも全部捨てたから何も残ってない。
    残ってなくてよかった。ぼくは社会でもとてもいじめられっこだったのです。
    だから愛されたくて人が見てるってわかると文章が歪んでいってしまう。
    最近少し歪まないようになってきたけどそれでもまだ足りない。
    向こうにいるときは頑張って仕事をしたけど、一生懸命働いたけど、体と精神が壊れることばかりだった。
    そうならないで済む方法は知ってた。けどそれはしたくなかった。
    ぼくは誰かを蹴落とさなければ手に入れられないような幸せな気持ちはやっぱり幸せには違いないけど嫌いだ。
    でも、人にはこう言う。人を蹴落としてでも手に入れられる幸せがあるなら手に入れるといい。
    そのほうが楽に幸せになれる。
    でもぼくは調子に乗れないですみっこで自分を好きなのか嫌いなのかわからないでいるような人が一番好き。

    ぼくは自分と似たようなことばかり考えてる人たちのことを慰めてあげたかったけど
    うまく言葉がはなせなかった。
    身代わりに、不幸でいて、それを体現してみせてって言ってくれた人もいた。
    その人はぼくに、すごく大事な仕事をくれたのに、ぼくは期待に応えようとして自分を歪めていく。
    もう少しうまくそれができるようになったら、そういうの探してる人にちょうどいい何かが見つかったら、
    それがぼくだったらいいのに。

    ぼくは一度も死んだことがないけど、ここでいろいろ書こうとしている間に大事なものいっぱい失って
    手に入れたものもあるけど、だれかが助けてくれなかったら死んでたようなこともあって
    捨てたい人生がいっぱい溜まってて
    捨てたい人生の間にいちばん支えてくれた猫が死んで、ぼくの捨てたかった人生の象徴がなくなって
    残ってるのは猫のいい想い出ばかり。
    ぼくは現実世界ではたくさんの人にろくでなしだとおもわれていて文句を言われている人間です。
    そういう人間の言っていることに付き合ってくれた人たちに、心から感謝します。

    あと、特に自分から不幸になりに行ってしまうような人たちが幸せになれる日がくることを願ってます。
    ぼくはどこかでずっと喋ってます。死ぬまでずっと喋ってます。
    だからさよならは死んだとき。どっかでまたあったらこんにちは。
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    今日は一日中ずっと、雪が降ってた。
    この辺の人はみんな慣れてるからテレビばかりを見てたけど、ぼくは雪が降ってるのばかり見てた。
    外の柿の木に雪がどんどん積もってきれいだった。

    ぼくは今日一日中、たくさんの人たちに嫉妬していて、雪も何も
    せっかくきれいなのにまともに見えないでいたんだ。
    どうしてぼくはいつも、人と仲良くしていることができないんだろうって
    ぼくはもうこわくてさ、たいして屁ともおもわれてなくてすぐに存在が消されたり、
    心臓が痛くてさ
    人間って、あんまり好かれないと心臓がたまに痛くなるんだ
    それで人殺しをしてしまうやつだって、いるくらい。
    何も望まないで生きていれば大丈夫だって知ってたけど
    たまに期待することもあるんだ。
    もしかしたらぼくも、他の人と仲良くしたり
    だれかに好きになってもらえたり、することがあるのかもって。
    でも、いつもこんなふうに心臓が痛くなる出来事にでくわして、
    やっぱりだめだったって、だれもいないところに行きたくなって
    だれかがいてもぼくはだれにも見えないんだって気がついて
    またここに、戻って来て
    もどってくると雪なども、ちゃんときれいに見えてきて
    つららもなにもかもはっきり見えるよ。心臓ももう
    痛くない。



    ここは終わった世界とおもって
    ぼくは景色とはなしをする。
    ここは崖の上で
    左がわに木があっておまえたち地面は
    ひびわれています。こどものとき、だれもいないとこで
    ひとりごとばかり言っていたときの自分が
    そこにはいるから。ぼくはうっかりすると みんなが
    ぼくのことなど見ていないということを忘れて、おもってもない
    ことを言ったり、言葉で自分をかざったりします。ぼくはそんなときの
    自分が嫌いです。



    死んだら

    もう誰もかれも死んじまってるんだよ。
    周りに誰もいないのが見えないのか。
    あっちの屋根の下に誰かいるかもしれない?
    だれも住んでないよ。

    ぼくが死んだらどうなるかって
    少なくともこっちの世界では
    動かなくなって腐っていく。

    ぼくのたましいはみんなに会えるか。
    みんなに会えない。たぶんここで
    腐っていって、おわり。
    イチゴにも、もう会えない。一度片方が死んだらそれっきり、倒れて
    何かに食われそうになっても、ご先祖様は助けにこない。
    死んでも天使は
    お迎えに来ない。よく覚悟
    しておくがいいよ。おまえはひとりぼっちで
    死んでいく。おもいでも
    なにもかも消える。脳が腐ってなくなるから
    覚えてたこともなにもかも消える。
    落ち葉食って生きて、ただこんなふうに死んでいく。
    楽しかったも苦しかったも無く、
    二度とおもい返すこともなく、
    懐かしむこともなく、
    死んだらおわり。ただおわり。
    そのあとに何かが起こっても、
    二度とその目で見ることもない。



    死体があった。人が死んでいくところもたくさん見た。でも全部、画面の中だった。
    ぼくには死体の耳を削ぎたい人の気持ちはわからなかった。あと、猫を、小さな猫を
    ぐちゃぐちゃになるまで踏むときの気持ちもわからない。
    生きたまま火をつけられても人間は、なかなか死なないということがわかった。
    でも、死ぬのを見てると、生きていて何を苦しいとか悲しいとか言っていいのか
    わからなくなった。いつも苦しんで、悪いことしてるような気分がする。どんなにひどいことがあっても
    体が生きたまま引きちぎられたり、えぐられたり、燃やされたり、
    潰されたり、人に、そうなることを望まれて、喜ばれて、犯されたりしてバラバラになって
    死んでいった人には、敵わないって気になるんだ。だって、罵られたり、殴られたり、埋められたり、
    嘲りを受けたり、そんなことは、いつものことだったけど、肉を死ぬほど抉られたりしたことはなかった。
    だから生きていて、やけども少しだけだったし、体も動いた。
    ぼくは、あんなこともうなくなればいいのにとおもう。
    でも皮がめくれて肉がむき出しになるような人がいないと、ここの仕組みはだめなのかもしれない。
    どうしてここに生きててこんな考えがしみついてしまったのかわからない。
    あれもこれも殴り殺して、肉をひきちぎってなんていうことを、いつかはずっと
    ここにいつづければするようになるのか。 肉を食べたいっておもう。でも
    かわいいっておもうものもたくさんいる。
    痛い目に遭わせたくない。肉が食べたい。
    痛い目に遭わせたくない。肉が食べたい。
    そこでぼくは屍肉を食べるんだ。滅多に巡り合わない、何かで死んでしまった何かの肉。
    その大事な肉を横取りしようとした別の人間を、釘の出た棒で潰れるまで何度も殴って殺して
    やっぱり食べたりするんだろうか。
    この、今いるところが、生温いだけなの?
    ぼくはこんなこともうなくなればいいのにとおもう。



    kaki01.jpg

    ぼくの携帯電話はもう契約が切れているから電話じゃない。でもいつかはだれの携帯電話も電話じゃなくなる日がくる。そんなもの、意味が無くなる日がくるんだ。
    ぼくは使えなくなった携帯電話を、カメラの代わりに使う。そして、Bluetoothという機能をつかってパソコンに写真を送るから通信が切れていても平気なんだ。でもこの携帯電話のカメラの機能はすごく悪い。こんなの写真にも絵にも記録にもならないっていうくらい悪い。だからぼくは必死になって雨の中、柿の木の下に走って行って、できるだけそれだとわかるような写真がとれるまでずっとボタンを押したり、確認したりする。でもいつもものすごくたくさん撮ってきても一枚も使えないときもある。すごくかなしいんだけど。だって、なんのために写真を撮るんだとおもう?それはぼくがいなくなってしまったあとの世界にぼくが何を見たかを伝えたいからだよ。




    赤ん坊のときのことをおもいだした。おもいだしたのかどうかはわからないけど、赤ちゃん用のたんすの模様だった。
    それで、急にいい気分がしたんだ。
    アヒルだったか、小さい女の子だったか、おもいだせない。でもそれの顔はさっきたしかに、頭の中で見た。小さいときに見た。おもいだそうとしたけど、おもいだせなかった。けど、なにかおもいだしたんだ。
    どうしておもいだそうとしたのかわからないけど、もっといい気分になりたかったんだとおもう。人間は、思い出すといい気分になれることが少し頭の中に残ってて、それがたまにふっとよみがえってくると、いい気分になれるんだ。なんでもないものを見て急に思い出したり、薬の箱を見て懐かし…そうか、懐かしくなるのか。懐かしいってなんだ、わからないけど、たとえばここで何十年も経ったら、様子の変わった木の幹を見て、ぼくは何十年も前の自分がここでどうしてたかを急に鮮明に思い出してそこにそれがあることをありがたいとおもいはじめたりするんだろう。たぶんあの頃は、目が覚めたとき、うれしかったんだとおもう。ゴミ収集車の音楽とか、明るいひだまりとか、たんすの模様で、朝になってよろこんでいる自分の気持ちだけをおもいだして、はじめは何をおもいだしたかわからないんだ。でもわかるよ。あのタンスの模様を見てたときはたぶん、すごくいい気分でいたんだ。



    いつも滅びたあとの世界に向かって話しかける。
    滅びる前の世界に、ぼくの話をきく人はほとんどいない。
    きく人がいるとしたら、その人はそうとう、まいっている。
    そこに人がいるとおもうと困るからいないほうがいい。
    おもったことを口にしてはいけないというルールが、人と人との間にはある。
    この世界の秘密を話したかったら、滅びた世界に向かって話をしなくちゃならない。
    話をきいている人は、半分滅びた世界に行きかけてる。
    半分滅びかけてる。
    ほとんど滅びかけている。
    ちょっと、調子に乗りすぎた。

    3月11日に地震が起きて、詩人が詩を書いた。
    神様に恨み言をいうのが正しいのかについての話をしようとしてた。
    ひどい目にそれほど会わずにすんだ人が大げさになって神様に恨みごとを言うと、本が売れた。
    死にそうな人は神様にすがって、神様に文句を言うのを忘れた。
    神様は、何もしない。死にかけている人をたすけるのは、神様の仕事じゃない。
    本を売るのも、神様の仕事じゃなかった。
    死にそうな人が最後には文句をいわなくなることを神様は知ってた。

    神様は、見てるだけだった。人間も、見てるだけだった。
    人間は、自分ばっか、きれいでかわいそうになっていたいだけだった。



    ゴーカートに乗って走った。
    ゴーカートは、ちっちゃな車で、草刈り機を動かすときみたいにうしろのひもをおもいっきりひっぱると
    エンジンが動いて、アクセルをふむと走り出す。
    山奥の、大きな公園で、ゴーカートに乗った。
    もう一人の、大事なともだちと一緒に。
    笑いが出て、ずっと笑った。
    子供の頃とは違う場所で乗ったけど
    景色が同じように見えた。1つちがうのは子供の頃は
    母さんに、上手に乗れてるところを見せようとしてたことだけど
    もう運転するだけでいい。
    落ち葉がたくさん舞ってた。あの頃は大事な猫も生きてた。
    苦しみ苦しみ、Autumn leavesというジャズの曲を
    習いたてのバイオリンで弾いてた頃、なにもかも自分のせいだったけど
    走って走って、おもったより遅くて風も来なかった。
    振動で病気が出てかゆくなったけど
    おもいっきり走った。きっと自分で走ったほうが早いけど
    大人になってしまったのは体だけだとおもった。



    もし結婚する日がきたら、
    その日は、誰かの葬式の日みたいにいっぱい
    ろうそくに火をつけて そこら中にならべて
    ぼくを出迎えてほしい。

    葬式の日がきたら
    またいっぱいろうそくに火をつけて、そこら中をろうそくでいっぱいにして
    ぼくに別れを告げてほしい。
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